ホーモイロゴ ひとりひとりの幸せな高齢社会の創造を目指します。「健康寿命をのばしましょう!」をメインテーマに活動している会です。
高齢社会をよくする下関女性の会(ホーモイ)
 
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   2012年12月7日(金)

 12月

  難病の妹に思う
 
 先日「難病女性ブログで明るく」の記事が、下関在住の方との事で関心を持って読みました。

 ~体の自由を奪われる難病「筋委縮症側索硬化症(ALS)」の下関市の女性が、日常のブログでつづっている。
 声はでないが、思考や五感を失っていない。
 そのことを知ってもらいたくて 失った声を文字に代え、明るく発信し続けている~


 実は私にも難病の妹がいます。
 「脊髄空洞症・アーノルドケアリー合併症」が判明したのが平成9年です。
 手術を何回もしましたが、上手くいかず、体の全体が急激に老化していく状態で痛みが伴います。
 東京の慈恵医大の専門医である安部先生に診て頂きましたが、年齢的(49歳)に手遅れで今の状態が最善だと言われました。
 それからいろいろな症状になり、入退院を繰り返し15年が経ちました。
 最近は車いす生活で、24時間在宅医療・看護・介護を受けていました。痛みを止めることが最大の望でした。
 彼女によると「足がつる時の痛み。コブラガエシの痛みが体のあちこちでおこる」痛みの表現です。頭はしっかりしているのです。(意志や五感はあります)
  11月4日、脳梗塞になり、左の手足が動かず、しゃべることもままならず、空洞症で右手足が動きにくくなっていた状況の中でしたので、今は手も足も体も動かせない状態です。
 内臓も全て機能が低下し、特に腸が動かず、便もガスも出にくくなりました。脊髄もS字に曲がり、あちこちの骨が骨粗鬆症でつぶれ、右足の大腿骨の付け根が摩耗し、それらの痛みも加わり大変な苦しみだとCTやMRIなどでわかりました。
 よくがんばったものです。
 ALS患者の方が「一番残酷な病気」と言われていますが、まだまだ残酷な病気があるのです。「痛い、痛い」はしょっちゅうで「神経が折れる」「辛い」などなど、彼女の訴えを聞き、淚々で看護師に伝えて、出来る事をしてあげるのが今の私の役割です。そして長くないであろう事を受容できるよう、ケアしたいと思います。大変なことですが「神様が見守って下さり良いように導いて下さる」事を信じて、重い役割を果たしたいと思っています。

 妹に新聞記事を読んであげましたが反応はありませんでした。
 本当によくがんばっている妹です。
   2012年11月26日(月)

 11月

  「遺品整理専門会社」って知っていますか?
 
 「平成24年度 下関市地域福祉推進セミナー」へ参加しました。
 テーマは「遺品整理の現場から学ぶ~最期まで孤立しないために~」
 講師は遺品整理会社キーパーズの代表取締役 吉田太一氏です。
 孤立死(孤独死)が社会問題になっていることは承知していましたが、具体的な例として動画で孤立して亡くなった人の生き様を見た時はショックでした。
 私が先に天国に引越せば、夫は“孤立死”になるかも!!
 不器用でコミュケーションがにがて、煩わしさがら逃避etc・・・心配になってきました。72歳。自営業なので働けるだけ働くように勧め、現役。 唯一の救いです。
 長男が誕生して40年。この間、めまぐるしい変わりようで、日本社会の支え合い文化は薄れ、自立を孤立と錯覚したのか、人との関わりを持たなくても困らない。
 ワンルームマンション、コンビニ、パソコン、携帯、ゲームなど人への助けを借りなくても生活できるのです。バーチャルの人間関係は画面上だけ。
目と目を合わせて話すことには勇気はいるけれど、楽しさが倍増するのです。そして心まで伝わるのです。そこを避けると人間関係が結べず、信頼もきずけない。その繰り返しではないかと思います。
 そこでおせっかいおばさんの出番です。
 まず、あいさつ。声掛けから始めましょう。そこから関係が出来ると思うのです。勇気を持っておせっかいおばさんになりましょう。そしておせっかいおばさんを増やしましょう。老若男女に声をかけよう!!

ちょっと飛躍しちゃいました。
 吉田太一氏は「私達は気の利く企業であり続けます」「キーパーズは『遺品はゴミではない』と考え、ご遺族の“ゆとり”を提供する企業として、ご遺品整理のお手伝いをさせて頂きます。
 私たちがお伺いさせて頂くお部屋には故人の生き様の全てが遺されており、ご遺族への様々なメッセージが託されています。
 私たちのサービスはその思いを心に感じ、ご遺族が知らなかった故人の人柄や思いをご遺族へお伝えするという、とても大切な役割だと思っております。お葬式が終わっても遺品の整理が終わるまでは、まだ故人の存在が完全にこの世から亡くなった訳ではありません。
 しかし、遺品が整理されてしまうと生き様は消え、故人はご遺族の記憶の中の人となってしまうのです。弊社ではその最後のお手伝いをご遺族の気持ちに配慮し、故人への尊厳をもってご対応させて頂いております。」と言われています。 これに加えこれから増えると思われる“孤立死”。現場から現実を知らせることで“自分は孤立死したくない”という強い気持ちを持つ事が社会から孤立しない為の一番の対策であり、社会も孤立させない事が重要だとの思いを講演活動、出版、啓蒙、DVD、映画「アントキノイノチ」などで訴えています。
 また、CSR(企業の社会的責任)への取り組みとして
 
  ① 「おひとりさまでもだいじょうぶノート」の無料配布

  ② 講演活動・啓蒙DVDの無料配布
 
  ③ 日米スーパーシニア親善野球大会主催
 
  ④ 虐待児のシェルターからの自立支援
 
  ⑤ 団体への支援
 
  ⑥ 東日本大震災被災者への支援
 
 など吉田太一氏のスケールの大きさを感じます。
 そして「人とのつながりを大切に生きていけばいい。どう生きるかが大切なんだ。遺品が教えてくれました。」
 私が一番心にのこったフレーズです。
 とても考えさせられる奥の深い講演でした。

以下、レジメとお節介9ヶ条です
 
    「遺品整理の現場から学ぶ」~最期まで孤立しないために~ ←PDFで見る
 
    最期まで充実した人生を送るためのお節介九カ条 ←PDFで見る
   2012年10月18日(木)

 10月

  「いそがしい9月でした」
 
 先月のブログでお話したように、8月下旬から独立行政法人 国立女性教育会館で開催された「ヌエック フォーラム2012」にて研修、その後東北へ「鎮魂の旅」。9月には「第2回 日本認知症予防学会」「同期会」「高齢社会をよくする女性の会in堺」へ参加しました。その報告書作成や発表で本当にいそがしい9月でした。
 今頃、疲れが出て、休憩したい。でも、できないこの頃です。
 「認知症予防学会」に参加して
 第2回日本認知症予防学会 学術集会「認知症予防の可能性を探る」が、北九州国際会議場で9月7日~9日まで開催され出席しました。“今後の認知症施策の方向性”“認知症予防の可能性を求めて”等々、各会場で分科会が行われました。
 
 実は「認知症予防ネット」代表の高林さん達4名が、スリーA増田方式認知症予防教室の実践やそれぞれの取り組み等を講演するので応援に出掛けたのです。

 ホーモイで2009年に「認知症を地域で支え合おう」のテーマで講演してくださった山田達夫先生の「安心院プロジェクト」の紹介。
昨年、介護予防のためのサロンで講演していただいた進藤先生のお弟子さん、田中宏暁先生(福岡大学スポーツ科学部・運動生理・福岡大学身体活動研究所)の「運動による認知症の二次予防」の講演。
米子市弓浜地域包括支援センターの方が発表された「認知症の予防・啓発活動~ふれあい、いきいきサロンから地域全体へ~」など、ホーモイが取り組んでいる認知症予防に関する事業は予防の先端を走っていると言っても過言ではないと自信を持ちました。
 ある分科会で、アルツハイマー型認知症の初期症状に嗅覚障害がみられる情報を聞きおどろきました。初耳でした。
 日本認知症予防学会理事長の浦上克哉先生(鳥取大学医学部保健学科生体制御学講座代表、教授)の研究によりアロマテラピーがアルツハイマー型認知症状の改善に役立つとわかり、アロマオイル「リ・ブレイン」が鳥取大学発ベンチャー㈱ハイバーブレインで開発・販売されているのです
さっそくその場で買い求めましたが、高価でした。10mlが3,900円以上もしました。

 昼用は日中の生活をすこやかに過ごすためのブレンド、ローズマリーとレモンは集中力をたかめ記憶力を強化する刺激的な作用があり、夜用はラベンダーとスイートオレンジで心や身体の鎮静効果があり、気分を落ち着けてくれるそうです。それぞれの香りのレシピを教えてほしかったのですが、企業秘密でした。

 さっそく10月のサロンに芳香器を。みんなで試嗅。認知症の改善、予防にアロマを楽しみたいものです。芳香器だけでなく、ペンダントもあるそうです。
 「ヌエック フォーラム2012」に参加して
           上野千鶴子先生にお逢いしました。
 分科会「地域発!女性の情報発信力が社会を変える」で講演されたのです。
 女性たち一人ひとりの活動を紡ぎ、今、必要とされる情報を発信し、多様な視点で情報交流することを目的として、NPO法人ウイメンズアクションネットワーク(WAN)は女性をつなぐポータルサイト(総合情報サイト)を運営しています。
 このポータルサイトを源として生まれたのが、協働事業「拡がるブックトーク」。
 WAN理事長の上野千鶴子先生は「Web上に女の共有財産をつくり、次世代に受け継ぎたい」と言われた。

 「拡げる・届ける・受け取る、ためにITを上手に利用しなきゃ!!
 寝たきりになっても社会の情報を受け取り、発信出来るのよ!
 高齢者こそITが出来ないとね」などと言われ・・・・

 ITができなくては時代についていけない・・・と思い、IPatを購入したものの、数回さわっただけで、もうパスワードをわすれてしまう始末です。先が思いやられますが、上野先生の言葉を思い出し、がんばります。
 毎年、学習に行く「ヌエック」=独立行政法人 国立女性教育会館の紹介
     ヌエック・マルシェも開催
↑復興支援 ↑フェアトレード
 
  ホーモイはおかげさまで来年、10周年を迎えます!!


 その記念フォーラム(2013.9.28)に上野先生が登壇していただける
ようになりました。

 NPO法人高齢社会をよくする女性の会 理事長の樋口恵子先生と
ビックなお二人をお迎えしての開催です。
 詳細は後日、HPに取り上げます。ご期待ください。
 
   2012年9月10日(月)
 
 9月
 

  「東北に来て・見て・感じて!」
 
 8月27日、ヌエックでの研修を終え、東北に向かって車で「鎮魂の旅」に出ました。
夜、仙台市に着き、宿を探しましたが、満室のホテルが多く、街は賑やかで「復興バブル」なのかなと感じました。

 翌朝、長男・三男・私の3人で、まず日本三景の一つ松島へ行く。
 その途中、車の残骸や瓦礫を積んだダンプカーの数が半端じゃない状態を見て少しずつ復興が進んでいるのだなーと思いました

  
 

 

 

 
 
 

 
 松島を横目に見て東松島に入りました。
 津波で潮を浴び茶色になった立ち枯れの木々、田畑は草ぼうぼう。建物の基礎のみ残っている所。立派な家が点在していると思ったら、中は全壊で住めなかったり、2~3階建てのマンションの1階は全滅で、2~3階には人が住んでいるようでした。
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 石巻市に入りました。北上川の河口に位置しています。
 避難所である小学校に津波火災が襲った跡。
 津波火災は津波が高台などで瓦礫が塞き止められておきる火災の事のようで、船などが燃え火の海だった映像を覚えています。堤防が海に流され、その残骸が目立ち、道路の液状化した跡が見られました。
 立ち枯れの松並木、そして瓦礫の山が散在。「復興祈願」と大きく書かれたダンプカーが往来。ローソンや日本製紙工場の復興は早いように思われますが他はボチボチだなーと思いました。

 女川原発のある女川町に入りました。
 福島のような被害を受けることはなかったようですが、津波による地盤沈下や道が歪みを生じ、建物の土台のみが残っていました。
 残骸の分別処理場が動いていましたが、小さな漁村には何の手も入っていないように見えました。

 398号線にはいりました。
 JR気仙沼線の崩壊がすざましく、復旧は難しいのではないかと思われました。

 船戸神明・雄勝町と記してあった町に入りましたが、小学校・中学校舎の型だけ残り、皆土台のみの更地でした。

 南三陸町に入りました。
 防災対策庁舎跡は鉄骨のみ残り、仮の慰霊塔にお花が供えられていました。最後まであの女性が「津波が来ますので早く逃げてください。」とアナウンスしていた場所です。
 その前で合掌をしましたが、胸がざわつき、涙が止まらず、そこに居た堪れなくなりその場を後にしました。


 
 
 

 
 土手に「全世界のみなさん ありがとう!」の大きな字で書かれた板が掲げられていました。「平成の森」仮設住宅を訪ねましたが、住民に声もかけられませんでした。この住宅で、暑さ寒さを凌ぐには並大抵の苦労ではないと察せられたからです。
 高齢者が多く、産業の少ない町の復興は難しいだろうなあと思いながら気仙沼市に入りました。

 気仙沼で初めて魚の腐った臭いが鼻をつきました。
 港には船が多く、復興予算が下りた為か、5月に三男が訪れた時より、復興が進み水産業が動き始めたようでした。少し陸の方から見渡すと360°津波に呑みこまれた様子で、海水の溜池が散在し、建物の残った土台にも海水が溜まっていました。もっと奥に入ると大きな船が何トンあるのだろうか・・打ち上げられていました。よくぞここまで上がったものだと津波の大きさに驚きました。
 
 自然の創造もつかない現象に改めて自然の脅威に身が縮みました。そして自然に「畏敬の念」を持たなければと思いました。
 セブンイレブンのプレハブがやたら目につきました。

 陸前高田市に入りました。
 長男が半年住んだことのある町で、彼にとっては辛い現場でもあります。
 市役所も市街地も工場も何もない廃墟になっていました。そこに一本松がひっそりと立っていました。病んだ幹をかばいながらがんばっていました。
 ベットタウンの街と言ってもいいぐらいだと長男が言っていたように、住宅の土台がアスファルトの道路に沿って残っていました。
 彼はあちこち探し十数年前に居た場所の土台を見つけ、胸がつまるようでした。

 日の暮れに大船渡市に入りました。
 津波はスーパー堤防を壊し、漁業、工場の盛んな港に近い所が呑みこまれ崩壊していました。堤防が基準であったら、もっと被害が大きかったそうです。
 あたりが暗くなり心身共に疲れましたので盛岡のホテルへ急ぎました。

 宮城県・岩手県と改めて来て・見て・感じたことは、復興バブルに沸く仙台、宮城。一次産業が中心の岩手県。地理的なことはもちろん、県の豊かさによっても復興に差がつくものだなあと思われました。
 高齢者が多く、産業が少ないと復興予算もつかないのではないかとすら思いました。
 「強者・弱者」「勝ち組・負け組」街を見るだけで決めつける訳にはいきませんが、そんな臭いがしました。
 一年半経過しても、その場所を訪ねただけで、こんなに心が重いのです。当事者はどれだけ大変だったか。私だったら生きられなかったかもしれない。
 この経験を忘れず、いろいろな面で生かしていきたいと強く思いました。最後に福島に行けなかった事を残念で申し訳なくおもいます。

 29日30日、秋田県の夏瀬温泉でゆっくり 東北の旅を味わい「鎮魂の旅」を終えました。
 二人の息子に感謝!!
 
   2012年8月9日(木)
 
 8月
 

  「映画とバザーの集い」に参加して
 
 高齢社会をよくする北九州女性の会が主催する 第34回・35回〝映画とバザーの集いに〟出かけました。

 バザーは、食の祭典「東北復興支援」~食べて応援しよう東北復興~と題して柚餅子やお菓子、
漬物、小岩井のバター類などが売られていて 東北の味を楽しませてもらいました。

  

 
 映画1作目「クレアモントホテル」はロンドンの古い街角が背景です。ロンドンオリンピックも真近なのでそれも含めてロンドンの古い街並みを楽しんで下さいと館内放送がありました。
 一緒に鑑賞した友だちで昨年夫をなくされた方が「いままでは夫のため、子どものため、孫のために生きてきたけれどこれからは自分のために生きるわ!」との主人公の言葉に共鳴され、〝勇気をもらったわ〟と言われました。

 私は主人公のパルフリー夫人の気品・前向きに生きる姿勢に魅せられ、夫人のような生き方、そしてユーモアとウイットを忘れない人になりたいと思いました。

 


 2作目「再開の食卓」は2010年度ベルリン国際映画賞 銀賞を受賞した作品でした。
 中国と台湾。隔てられた悲しい歴史が数多くある事に、私には想像もつきませんでした。
 この映画の結末、主人公ユイアーは長年連れ添った夫を選び、元夫は台湾に一人で帰っていきました。この映画から同じ家に寝起きし、同じ食卓を囲む日常の生活が人間関係を深め、愛が生まれ、情が育ち、家族の絆が強くなる事を再度認識しました。
 社会情勢なのか 家庭で食卓を囲むことが難しくなっている現在、いかに基本的な日常生活を取り戻すかが問われています。それぞれの家庭でそれぞれの家庭の絆を強めていく工夫が大切ですよね!

  二作 どちらも感動作でした。
    2012年7月10日(火)
 
 7月
 

  「健康寿命をのばしましょう!」
 
 6月19日の朝日新聞に下記のような記事が掲載されていました。  
  
 
 「健康寿命をのばしましょう!」をテーマに活動している我々の会の〝介護予防のためのサロン〟事業は、今まさに必要とされている活動だと再確信しました。

 サロンレポートで毎月ご紹介しているように、参加者の皆さんが「楽しかったわー」「また、来月に」と言って帰っていかれます。楽しんでもらって健康寿命がのびれば、これ以上のことはありません。
 メニューはバラエティーに富んでいます。リズム体操、健康講話、筋力トレーニング、そしてお弁当。午後からレクレーションや脳トレーニングです。(毎回、レクレーションのメニュー決定は頭のいたいところではありますが・・・)

 その筋力トレーニングの成果もでています。2006年と2008年に「参加者基礎体力測定」をおこないました。皆さん2歳、年をとっているのに体力の向上がみられました。(30秒スクワット、開眼片足立ち時間、最大歩行速度など)
 
 サロン事業の効果として

 1) 健康寿命がのびる
 2) イキイキ高齢者がふえる
 3) 地域のコミュケーション作りに役立ち、地域が活性化する
 4) 元気な高齢者が社会を変えていく
 5) 大きなコストをかけずに普及できることは、行政の限界を補う重要な役割を担う
 等と言えると自負しております

 いいことずくめのホーモイ式健康寿命をのばすサロンなので、広がって欲しいのですが・・・「なぜ 広がらないのかぁ~」を考察すると担い手になる方が育たないのです。
 自治会などで歩いていける場所(集会所)で週1回行うことが望ましいのですが、これが難題なのです。

 健康寿命をのばすためには「読み 書き 体操 ボランティア」を毎日する事だと社会学者の三浦清一郎さんが言われています。
 誰かのために働くことが喜びや生きがいになり、それが健康寿命をのばすことになるのです。
 みなさん、健康寿命をのばすためにお互い日々努力しましょう!!
    2012年6月15日(金)
 
 6月
 

  千客万来
 
     
 第10回総会記念フォーラムが無事に終わりました。

 チケットは予想を上回る売れ行きでしたが、当日の参加者はその半分でした。ここ下関は災害の少ない地域なので危機感がうすいのでしょう。

 予想はしていたのですが・・・東日本大震災の後だからもっと関心が高いのではとも思っていました。

 でも、アンケートから90%の方々が〝よかった〟との回答がありホッとしています。

 ありがとうございました。

 年々、どの催物も参加者が少なくなったと聞きます。市民の多様化するニーズに応えられるような企画を立てる為に努力したいと改めて思いました。
 
 フォーラムに、昨年12月に夫を亡くした親友が大阪から参加してくれました。
 2~3日泊まって我が家の部屋の夏支度を手伝ってくれました。部屋の窓越しに簾をかけ、パナマ草の座布団に替え、食器を涼しげなものに替えたり・・・と おしゃべりをしながら二人でひと時を楽しみました。おかげですっかり、家中が夏支度に替わりました。
 社交家の彼女だから、時間はかかるでしょうが、自分ひとりで生きる道、居場所をきっとみつけてくれると思います。陰ながら応援しています。

 間もなく、幼なじみの夫婦がアメリカから帰国し、我が家へ〝隆ちゃんのご飯が食べたい〟とやってきました。
 渡米し40年以上が過ぎ、すっかりアメリカ人になったと思っていたら「私たちはやっぱり日本人なのよ!」と言うのです。
 東日本大震災で整然と並んで食物や衣類などを受け取る市民に感動し、自分たちが日本人であることを誇りに思ったそうです。アメリカではすぐ暴動が起こるそうです。
 そして経営しているレストランで援助のためにイベントをして、100万円以上被災地に送ったそうです。感謝 感謝です。

 この一週間、千客万来でしたが、とても充実した時を過ごしました。
 本音を言うとフォーラムの疲れがどっーとでている中の来客でしたから、今頃くたびれています。 温泉にいきましょう。
    2012年5月19日(土)
 
 5月
 

  ゴールデンウィーク

 〝介護予防のためのサロン事業〟にボランティアとして参加協力してくれていた下関市立大学の卒業生が東京、名古屋などから遊びに来てくれました。
 社会人2年目、3年目の彼らが一回り大きくなった事に嬉しくなりました。それぞれがいきいきと自分の仕事の話などを聞かせてくれ、私の体の具合までも心配してくれたのです。

 わが息子 三男からは、震災地を訪れたらしく、そこからTELがあり、「母さんも一度、震災地を見に来た方がいいよ。〝百聞は一見にしかず〟だから」と教わりました。そうとう心を揺す振られたようです。彼は良い経験をしました。
 私も震災地を訪ねましょう!!
  
 
    2012年4月13日(金)
       第2回 認知症下関大会 
 下関では桜の花が満開です。
   子供たちの入学式に花を添えたことでしょう。
 ホーモイが参加協力している‘認知症を地域で支えるまちづくり下関ネットワーク委員会’の「第2回 認知症下関大会」が3月17日に開催されました。ちなみに私はこの委員会の副会長をしております。

 大会では“若年性認知症を生きる”と題して大分県出身の足立昭一氏が奥さんと一緒に講演されました。現在、足立さんは65歳で介護3です。5年前にアルツハイマー病と診断され、58歳で勤務先の大分市役所を早期退職したのです。でも、「社会の一員として人の役に立ちたい」という気持ちを持ち続け、これまでも自分の通うディサービスセンターの仕事を手伝い、そこのお年寄りたちに喜ばれていました。その後、センターの理解と協力を得て、現在「野菜販売」という仕事をして謝礼金を受け取ることができるようになったのです。

 今ある能力を生かし、誇りをもって「完治するぞ!」という自身の強い意志が足立さんを支えているのだと感じました。
奥さんや家族の方々の介護体験を聞いて「あくまでも普通です」と言われた言葉には心を広くして接することが大切だと感じました。

 記念講演では「今後の認知症対策について」を厚生労働省老健局高齢者支援課認知症・虐待防止対策推進室室長の勝又浜子氏から「定期巡回・随時対応サービス」の創設や今後の認知症の人をささえる地域支援体制についてホットな講演がありました。

 そして介護劇や家族介護体験談など盛だくさんのプログラムでした。

 全体の内容を視聴して、地域・福祉・医療が連携して推進するシステムづくりの構築が不可欠だと強く思いました。
 
 2012年3月3日(土)
       桃の節句 
   今日はひな祭りです。(3月3日)
   いくつになっても女性にとってうれしい日です。
   ひな人形を飾り、桃の花をいけ、雛あられを食べ・・・
   そして、春が来たことを感じます。
       でもでも、数日前の2月28日の朝日新聞、朝刊の下関版には心が凍てつきました。
 
 
    下関市「聖域なき改革」 市長 財政健全化へ決意 
 
下関市は財政状況の見直しを始めた。23日に立ち上げた財政健全化推進本部で、歳入、歳出両面から見直す。中尾友昭市長は「聖域なき改革になる責任と緊張感を持って取り組んでいく」と話した。
 
 *説明文の中に
 
 
~新年度の当初予算案では人件費や扶助費、市債の元利償還などの公債費といった常に必要な支出(義務的経費)が市税などの毎年見込める収入に占める割合を示す経常収支比率が99.9%。政策的に必要な新事業を、ほぼ全額、借金をしたり、貯金を切り崩したりしないとできない状態。
 
 
 経常収支比率が99.9%にショックを受けたのです!!
 家庭に例えると、住居費・食費・公共料金・借金返済(住宅ローン)など、必要な支出が99.9%なのです。
 新しい事は、0.1%じゃあ出来ません。
 また、借金を増やすのですか?? ねぇ~

 歳入をどう増やし、歳出をどう減らすのかが課題です。行政の改革はもちろんの事、私たち市民も 無駄を省き、無駄にならないように日々心がける事が大切ですよね。そして、行政に目を見張る事、市民の意見を届ける事だと思います。

 またまた今日の朝日新聞の朝刊にショックな記事を見つけました。

 
 
 
 個人情報 4人分 記載の文章紛失  下関市職員
 
 
 なんだか言葉もでません。
 私たちの税金を生活の糧にしている方々。いろんな立場の人がどんな状況で税金を納めているのか想像してみてください。
 確定申告の締切りが迫っています。足が遠退きそうですよね。
 むなしいかぎりです。

 ひな祭りの想いが飛んで行っちゃいました。
 2012年2月11日(土)
 
     
  「今日は立春です」 (2月4日)
 
 
  このところ雪の被害が全国で深刻です。
 
  昨日の「天声人語」にこんな記事が記載されていました。
 
 
▼雪を「天からの手紙」と言ったのは雪氷学の先達・中谷宇吉郎だった。思えば雪は不思議な代物できびしい霜や冷たい霙(みぞれ)と違って、むしろあたたかく平和な感じすら与える。しかし純白にひそむ「魔」はときに人の命も奪い去る。雪に二つの顔がある。
▼きょうは魔を追い払う節分、そして明日は立春がめぐる。春は名のみの寒の底だが、地中に森に、幾万幾億の芽が時を待つ。
≪冬キビシ/春ヲ含ミテ≫柳宗悦
 
 
 又、1月30日には 
 
 
▼何にせよ、寒さに耐えたものには凛とした強さが宿る。ふきのとうの苦みや雪割草の若葉が五感に染みるのは、越冬の喜びと響きあうからだろう。
酷寒の先の安息を願い、心は凍てつく被災地に飛ぶ。仮の宿でも、鍋いっぱいの根菜が湯気を立てていようか
▼寒があれば暖があるように、天地がもたらすのは災いだけではない。一周忌が営まれる頃には、南から柔らかな陽光が戻り、地の恵みを重ね着したタケノコが出る。
悲しみにひと区切りはないけれど、手を携えて前に進みたい。まっさらの春が待つ。
 
 
 日本には四季があり、その時々に心を豊かにしてくれます。
 逆に言えば四季があるので「喉元過ぎれば・・・・」忘れやすく、事が進まないのかもしれません。
 でも、わすれてはいけないのが「震災から学ぶ」など、起こった事から学ぶ事を忘れてはならない。そして記録に遺すことが大切である。にもかかわらず震災に関する記録がないとは なんとお粗末なこと。政府がすることでしょうか!?
 腹立たしいより呆れ果てて言葉も出ません。
 世の中腐りつつあるように思います。
 私たちひとりひとり、何をどうすべきか、お互いに考えて行動したいものです。
 
 2012年1月24日(火)
      「韓国視察研修」 

 遅ればせながら あけましておめでとうございます
 今年は「一陽来復」を祈りながら 良い年にしていきましょう。
 
 新春そうそう韓国ソウルへ高齢社会をよくする女性の会京都の代表中西豊子さん、NPO法人認知症予防ネット理事長の高林美結樹さん、そして私の3人でソウルの「たんぽぽデイケアセンター」を中心に視察研修に出かけました。
 
 認知症予防ゲーム(スリーA方式)が韓国に上陸したのをこの目で見てきました!!
 
 韓国では認知症研究の第一人者であり、日本でも講演されたことのあるリ・スンヒ氏が運営されている老人施設「たんぽぽデイケアセンター」で「ケア研究会」の学生さんが中心になり佐々木典子先生の指導のもと、認知症予防ゲーム(スリーA方式)を実施しているのです。
 そこを見学させていただきました。
 江南大学シルバー産業学部社会学専攻の佐々木典子先生のスリーAに対する熱い思いとリーダーさんの温かくて、優しい雰囲気作りが素晴らしく、同行者一同、まさに模範的、「これぞスリーA」だ!!と感動しました。
 
 中西豊子さんの友人でシン・ヨンジャン氏は韓国シニア連合代表や韓国老人会理事など多くの役職を持った方です。その方が認知症予防ゲーム(スリーA方式)の良さを知って下さり韓国シニア連合等でもこの予防ゲームを取り入れると言われました。
 韓国での今後のスリーA推進運動にとってシン・ヨンジャン氏は大きな力になられると思います。

 韓国でお会いした皆さんは実にスリーAに熱い眼差しを向けておられます。

 
 この視察研修からいろいろなヒントを頂きました。
 力を尽くして、この下関でも認知症予防ゲーム(スリーA)を推進して行けるようがんばります。

たんぽぽデイケアセンター
認知症予防ゲーム(スリーA方式)

 ソウルは今、高層マンションの建設ラッシュのようです。デパートではお正月(春節)の買い物客でごった返していました。日本に比べ、とても活気付いているようでした。
 
 帰国の日、ケア研究会のメンバーの家庭でおもてなしを受け、16品もの料理に舌鼓をうちました。
 
 日本の信州や東北、北海道で冬を過ごす知恵として、漬物などその家庭の味があります。韓国ではそれにトウガラシ、ニンニクなどの香辛料を加えた物がキムチという料理だとおもいました。
 
 その食事をいただた効果なのか、帰国して2~3日身体がぽかぽかして寒さを感じないぐらいでした。これこそ風土を生かした食生活だと思います。
 
 毎日3人が口々に「感動した」と繰り返し言い合いました。
 本当に心に深く残る旅行となり、年始めとして とても良い経験でした。
春節のおご馳走…ロッテ百貨店にて
 
 
     
 

 
     
 
会の紹介 年間行事 活動報告  思い
 代 表   田 中 隆 子  
   〒751-0822 下関市宝町 36-30 
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